優柔不断を卒業しよう。主体的な選択に根拠はいらない
#実践編
こんにちは。日々こころについて考えている、なもなです。
あなたは、「なんとなく」なにかをしたいと思い立っても、後ろめたさからその意思がしぼんでしまうことはありませんか?
他者に胸をはって言える「大義名分」がないと、心細かったり。
私はまさにそういうタイプです。
でも、いいんです!それで。
今回は「主体的な選択に根拠はいらない」ことを、できるだけわかりやすくおはなししていきますね。
この記事がそんなあなたの力になれば、なもな、とってもうれしいです!
かんたんにご説明すると、こんな感じです。
よりくわしく知りたい方は、こちらの記事もあわせてごらんください。
●【基本編】こころのアルゴリズム
お得なメニューと食べたいメニュー、どっちを選ぶ?
たとえば、レストランに食事にいくと、
・お得なセットハンバーグ(サラダ、ライスつき) 980円
・鉄板グリルハンバーグ (単品) 1,280円
の二つのメニューがあったとします。
あなたは、どうやって注文内容をきめますか?
受身の小人(損得勘定)はこう言いたてます。
「おなかを満たすだけならセットハンバーグで十分でしょ。安い方にしなさいよ」
一方、主体的な小人(内なる欲求)はこんなことを言いはじめました。
「いま、鉄板で焦げたハンバーグとソースの香りを感じたい!鉄板グリルハンバーグがいい!!」
さて、かじ取り役のあなた(社会的な自己)は、どうしますか?
内なる欲求の根拠は言語化できない
かじ取り役のあなたは、こんな風に迷うかもしれません。
「主体的な小人のねがいをかなえてあげたい。
でも『香りを感じたい』という、主観的で対外的に証明できない欲求には本当に(二つのメニューの差額の)300円分の価値があるのだろうか?」
これはもっともなことです。
おそらく、もし「鉄板で焦げたハンバーグの香りをかんじたい」という欲求にあきらかな根拠があれば、もっと自信をもって選べたのではないでしょうか。
たとえば「焦げた香りをかれこれ300日間感じていないので、そろそろ補給しなければなりません」と説明できたらいいのですが、残念ながら私たちは身体内部の感覚とここまでダイレクトに情報交換できません。
「なんとなくそう思う」が人間の限界なのです。
※確証はもてませんが、私は、身体レベルでは「焦げた香りによる活力の計算」はおこなわれていると思います。
自由に主体的に選択していい場面とは
ここではじめの選択場面にたちもどってみましょう。
そもそもここでは「レストランでの注文内容」という、きわめて個人的な選択をしているのでした。
だから結局は「そんなのどちらでもいい」そして「主体的に選んだのなら根拠はいらない。それが主体性」なのです。
「どんな選択にも合理的な根拠が不可欠」と思いこんでいたあなた、これからは主体的な小人を信じてみませんか。
そして、ここで 安全に主体的な選択ができる場面の見分け方をおしらせします。
それは
1:相手との間に利害関係がないとき
たとえば、相手におごってもらう場合は、あなたが高いものを選べば相手の出費が増えるという利害関係があります。
そういうときは、もう一つの主体性「相手とどのようにかかわっていきたいか」も考慮にいれるとより良い選択ができるでしょう。
2:相手との間に信頼関係や愛着があるとき
信頼関係や愛着があれば、あなたの主体的な選択を相手は喜んでくれるはずです。
ぜひ、やってみましょう。
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
さいごまでおつきあいいただき、なもなはとってもとってもうれしいです!
記事をよんだ今、あなたはどんな気分ですか?
もっと吸収したいあなたは、こちらの記事をあわせてお読みください。
それとも あなたも語りたくなった?どうぞいってらっしゃい。
↓↓↓またお会いしましょうね。