死にたいきもちの正体と、死にたいときあなたができること
こんにちは!発達障害と氷河期世代のハイブリッド、なもなです。
…自分で書いていてかなしくなってきました。
世界一なりたくないハイブリッドですね。これ。
かんたんにご説明すると、こんな感じです。
よりくわしく知りたい方は、こちらの記事もあわせてごらんください。
●【基本編】こころのアルゴリズム
私と希死念慮の長いつきあい
私は就職活動でつまづいたため、定職につくのに26歳まで時間がかかりました。
しかし その後も仕事がつづかず、うつになって休職、そして退職というパターンをくりかえしてきました。
人生にゆきづまると、決まって希死念慮(死にたい気持ち)がわいてきます。
そんな時期は、検索窓に「死にたい」と叩きこんで あてどなく救いをもとめました。
でも、ヒットしたサイトにも その気持ちをしぼませる根本的な解決法は書かれていないんですよね。
だから死にたい気持ちは誰にもどうにもならないものだと 半ばあきらめていました。
しかし、こころのアルゴリズムをもちいると読み解くことが容易になりました。
結論からもうしますと、「死にたい」はあなたの心の総意ではありません!
安心してください。
そして、死にたい気持ちがやってきた時 あなたにできることも提案しました。
およみいただけると、なもな、とってもうれしいです。
「死にたい」は受身の小人がたたきだした計算結果
死にたい気持ちがやってくるとき、口をついて出てくる言葉は たしかに「死にたい」です。
しかし、それは頭の中には「死ななければならない」という形で響いているのではないでしょうか。
こころの中で「○○ねばならない」という言いまわしをするのは、受身の小人です。
受身の小人には
・世の中を公正にみているつもりだが、だいじな主体的な小人を迫害している
・過去の二、三の事例から考えを一般化して未来を決めつける
・受身の小人自身をかえりみることができない
という特徴があります。
職さがしや仕事で追いつめられているときの私の頭の中を思いだしてみました。
「死ななければならない」と考えるにいたる受身の小人の論理は、こうです。
1:自分が生きているだけで ○○○○円のコストがかかっている
2:一方、自分は能力や魅力がないので 世の中の役に立てないし お金を稼ぐこともできない(いままでも、これからも)
3:2から1を差し引いて、自分が生きているだけで○○○○円の赤字である
4:2と3より、世の中のために自分ができる最善のことは、死だ
5:時間がたてばたつほど赤字がかさんでいくので、自分は一刻もはやく死んだ方がいい
この理論は一見 筋道がとおっているように錯覚してしまいますが、よくみると穴だらけです。
これから私が全力で反論します。
自分を痛めつける思いこみに反論する
1について:コストの見積もりが正確にできているとは限らない
2について:
「能力や魅力がない」と決めるにはデータが少なすぎる
これからも「役に立てない」とは決まっていない
仮に能力や魅力がなくてもお金を稼ぐことはできる
3について:
自分には周囲が評価出来ていない価値があるという可能性を無視している
そもそも人間の価値は単純に計算できるものではない
4と5について:
誰にとって「最善」なのかが不明瞭
神様の目線でいるつもりかもしれないが、神様はもっと寛容だ
という風に、つっこみどころがたくさんあります。
受身の小人の論理って、実はとてもつたないのです。
こころに本来の活力があれば、受身の小人なんて投げ飛ばすことができるのです。
でも、今はその力がたりない。
そういう時は、論理の力で攻めていきましょう。
心理療法のひとつである論理療法では、この反論の方法が研究されています。
死にたいきもちの暴走を止めるのはかじ取り役のあなた
死にたいほどつらい時には忘れていますが、本来、こころの主はかじ取り役であるあなた自身です。
そして受身の小人は従たる存在なのです。
どうかほんの少しあがいて、声をあげて、助けをもとめてください。
受身の小人の「他者に迷惑をかけるな」という声の上に立ってください。
小人もそれを願っています。
そして同時に、こころの中で弱りきっている主体的な小人のこともひっぱり上げてあげましょう。
主体的な小人は、いつでも、どんな状況でも、あなたを無条件に肯定できる存在です。
主体的な小人を育てれば、うつをくり返しにくくもなります。
一緒に、ゆっくり、生きてまいりましょうね。
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さいごまでおつきあいいただき、なもなはとってもとってもうれしいです!
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